TREASURE(トレジャー) ・・・・ と言うか、私のお宝!?です。
ワイン・ガードナー |
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エディー・ローソン |
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ケビン・シュワンツ |
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ケビン・マギー |
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1989年 WGP〜日本(鈴鹿サーキット) リザルト
・・・このメンバーを知る人は、80年代のバイクシーズンを過ごしてきた人でしょう! WガードナーにEローソン、KシュワンツにWレイニー、NマッケンジーにCサロン、 極めつけは平にFスペンサー、ハッチ(八代)にイトシンまでいます!! まさに蒼々たる80年代のGPライダー達のサイン、もちろん本物で本人に直接書いて貰ったものです。 入手日 ・・・・・1989年3月24日・27日 →ちなみに3月26日はWGP1989、第1戦:鈴鹿サーキット 入手経路!?・・・・・特に興味の無い方はこちらからお戻り下さい(^^;) 今から16年前、鈴鹿サーキットに日本グランプリを観戦に行った時の事。その当時のWGPは 今ほどレーサーとファンの垣根が無く、隣接する遊園地からレーサーが歩いてサーキットに 向かうのも普通の事でした。もちろんプロの彼らはファンサービスを忘れず、すぐに囲まれる のですが気軽にサインや握手をしていました。それが時代がバブルだったので許されたのか 、今ほど治安が悪くないのが理由なのかとにかく良い時代でした(^^) で、そこで歩いてた? ローソンやシュワンツにサインを貰いました。 次に予選日(決勝前日)の深夜、サーキット隣のボーリング場に向かうとそこにサロンがいま した!と言うか、他には誰も客はいなく、サロンの仲間数人だけが笑いながらプレーしていま した。そこで何をトチ狂ったか、私は係りの人に「あの外人の隣のレーンでプレーしたい!」と 言ったところ快諾。かくして私はダダっ広いボーリング場の他には誰もいないのにわざわざ サロンの隣でプレーしました。 特にサロンのスコアがどーとかは記憶がありませんが、ニコニコしながらサインを頂きました。 決勝の翌日、私は朝早くから鈴鹿サーキットホテルにいました。現在はもちろん、当時もダメ だったと思うのですが、私はホテルのロビーで偉そうに座り込んでいました。 それは・・・ 「どんなレーサーだろうがチェックアウト位は自分でするだろう!?」という甘い考えがあった からです。この作戦はずばり的中!!何と目の前をガードナーが通り過ぎるではありません か!?追いかけて行ってサインを貰き、お礼を言って逃げるようにその場を立ち去ったのでし た。 確かに一部「若気のいたり」が成せる行動だったのかもしれませんが、こうして現在私の手元 には正真正銘「本物のGPライダー達」のサインが残っています(^^;) レースの結果・・・・・参考までに、このレースの結果を少し話します。若い方はかなり古い”昔話”なので理解出 来ない部分もあると思うのですが・・・ この年の話題は前年のチャンピオであるE.ローソンのヤマハからホンダへの電撃移籍で 幕をあけた。更に85年に250ccと500ccのダブルタイトルを取ったファースト・フレディことF. スペンサーのカムバックでも話題を盛り上げた。 レースは前年のチャンピオン、ローソンと2位のガードナー、それにカムバックしたスペンサー や日本代表の平忠彦がどこまで食いつけるか?というレース展開。また前年の鈴鹿の覇者 K.シュワンツや新鋭レイニーがどこまで走れるか?も期待された戦いだった。 予選はPPから順に、平→レイニー→シュワンツ→ガードナー・・・。ローソンは6番手からの スタートだった。 ここから先は割愛するが、結果は1位シュワンツ、2位レイニーで幕を閉じた。 このレースは歴史に残るレースとして語られ、そしてその時の彼らの強烈な走りは 「崇高なる神々のバトル」と今も言われ続けています。 詳しくは→こちら 正直、このレースを生で見れた事が、現在も私がバイクに乗り続けている理由の一因だと思っ ています。 現在・・・・・・・・・・・ 今、この時手に入れたサインは大事に大事に保管しています。そして、私のガレージにはあ の頃(80年代)を思い出させる大きなパズルを飾ってます。 多分、今私がバイクに乗っているのは、このレースが頭に焼きつき、そしてGPライダー達の 熱い走りと笑顔が忘れられないからだと思います。 KAMUI |